猫の額

初心者の猫と庭いじり。日々のこと。

剪定鋏

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素晴らしい剪定鋏を手に入れた。
山形県で剪定鋏、園芸鋏を伝統の工法、職人技で作製している「飛庄」の鋏。
たまたま知り合いが山形でこの工場に関係していて、その紹介で手に入れた。人気商品は何ヵ月待ちというここの鋏。少しまったが、ずいぶん早く届けてくれた。
さあ、この素人ガーデナーに果たしてこの鋏は使いこなせるのか?

しかし、鋏や刃物には全く詳しくないが、この鋏の美しいこと。鋼の鍛えられた鈍い光。鋭利でいながら刃から握りの丸みが優美に感じられる。油の匂いにもワクワクする。

ああ、早く週末になって、これでバラの手入れをしてみたい!

マーガレット危機

5月頭に植えたマーガレット、花が一通り終わり、葉が繁ってきた。植えた時期が遅かったので、今シーズンはこれで終わりかな?でも株が大きくなってきたのは嬉しいな、と思っていたら、また蕾がたくさん伸びてきた。

それで少しバラバラに植わっていたのが気になったので、もう少し寄せようと、一週間前に端の株を他の株の真ん中に来るように植え替えた。勢いのある株だったし、全く問題ないと思ったのに、翌日あっという間に萎れてしまった。
あちゃー(>_<)という感じ。やっぱり暑い時期に植え替えは駄目なんだ…とがっかりしたが、母が「大丈夫!」と言うので、諦めず水をやり続けていた。

でもなかなか葉がシャッキリしてこないので、やっぱり駄目かな…と思いかけていたが、丸一日雨が降った翌日、葉が立ち上がり始めていた!やったー!
株は二まわりくらい小さくなってしまったが、なんとか生き延びそう。良かった~。
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他の株も小さいながら、たくさん蕾をつけて、二番花が見られそう。
しかし実は、ここで咲かせていいものかどうかもわからないんだよね…
知識のないのがつらい(-_-;)

高校生のタイツ問題

 だいぶ前の話になってしまうが、前の冬に、岐阜の名門高校の、女子のタイツの色が話題になっていた。
 女子のタイツは肌色のみ許可する、という校則があり、今時、肌色のタイツなんか恥ずかしくてはけないので校則を変えてほしいと、生徒たちが学校側に様々な手段で訴えていて、どうやら黒タイツが許可されそうだ、という話だ。
 それにしても、ほんとに今時、肌色のタイツなんて中学生でも履いていないし、店でもむしろ少数派になっているというのに、なんでそんなに時間がかかってしまったのだろう。今までそういう希望が生徒から出されたことはなかったのだろうか?男性はともかく、女性の先生は何とも思わなかったのだろうか?地方の名門で、特に制服がどうであっても生徒の募集に影響しないから、何も考えなかったのだろうか?それとも東京ほど、そこら辺のこだわりはないのだろうか?考えれば考えるほど、疑問が沸く。

 校則は校則として、「華美を戒める」とか「勉強に関係ない」とか、そうなっている理由は一応あったのだと思うし、今までそうだったのはとりあえず仕方ない。そして本当に校長、または先生方がその理由をもっともだと思って、生徒の訴えを却下していたのだったら、「古臭いこと言ってるな」と思うけど、そういう人もいるんだな、と思える。
 だけど今回、これ、校長先生やほかの先生も「別に黒でも構わない」って思ってるよね、絶対。「何言ってるんだ」と思ってしまったのは、校長の弁だ。曰く、「生徒が何かを訴える手段や手順を今回のことで学ぶことができれば」とかなんとか。ほんとにそう思ってる?

 毎年毎年、こんな案件があるわけではないのだから、そんな学びはほかの手段でやって下さい。はっきり言って、こんなことのために時間と労力を割かれている生徒が可哀そう。時代に合わせてさっさと校則を変えればいいものを、自分たちの怠慢で今まで校則を変えてこなかったのをもっともらしい理由付けしているだけに見える。「結局変えることになるのは見えているんだけど、あえて生徒たちの乗り越えるべき壁になってやっている」つもりになって、ちょっといい話、的に考えていませんか?
 そんなことに付き合わされる生徒が可哀そう。それでも何年か経てば「いい思い出」になるのでしょうかね。

日常は戻るのか?

今日、漫画借りるかな~、とスタバ併設のTSUTAYAに寄った。緊急事態宣言中はカフェは閉鎖、TSUTAYAのみの営業だったが、コロナも収束が見えて来た最近、カフェも全面的に営業再開したようだ。
お茶しているお客さんがいるのは当然なのだが、ミーティングができるような大テーブルいっぱいに、マスクも着けずに若者達がミーティングなのか、談笑しているのには驚いた。見たところ、全員がマスクをしていなかった。

正直、困惑し、腹立たしい気持ちになった。私が暑い中マスクを着け、仕事のため混み始めた電車に乗ってたのはなんのため?(いや、仕事のためだけど。いやいや、自分他人含め感染リスクを少しでも減らすため!)今だって店に入る前に消毒、なるべく短時間で済ませようと急いでいるのに。
自粛警察のような行為は恥ずかしいと思うが、気持ちはわかるような気がしてくる。これだから若い者は…って思うのは年取ったから?いかんいかん。でも、この人達、再び感染が拡大して緊急事態宣言ともなれば、一番文句言い出しそうだな、とも思える。

しかし、このカフェだけでなく、駅前の人の流れを見ていると、ずっと自粛で重苦しい日々が続いていたので解放感も理解できるけど、大勢の人の欲求というか勢いが波のように押し寄せてくる感覚を覚え、圧迫されるようなちょっと怖い気がしてくる。行く先はわからないけど、早く何か楽しいことをしなくちゃ、早くどこかに行かなくちゃ、早く誰かと集まらなくちゃ、というような焦りのような感覚。
そうしなければ何かに乗り遅れそうな、損をしそうな気がして気ばかりが急く。

この追われるような感覚がなくならない限り、元の日常が戻ったとは言えないのだろうな、と思う。

薔薇を植える

庭に何を植えるか考えていて、とにかくフェンスを飾り付けるものが欲しかった。ツル性の何か…バラは始め思ってもいなかったのだが、夫がバラは?というので、ためしに調べてみると、あるわあるわ。
それからはもう、バラしかない、という気持ちになって、ひたすら初心者でも育てやすい好みのバラを探しまくった。

そして、会社を休んで片道電車で1時間半、京成バラ園まで赴き、手に入れたのがこちら。
ジャスミーナ
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モッコウバラ(黄色)
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少し迷ったが、当初考えていた中から選んだ。
あとはおまけに赤いバラ、ということで、ルビーフラワーカーニバルを新苗で追加。

上の二つが長尺の苗だったので、電車で持ち帰るのが大変だったが、帰ってから早速植え付けた。
ちょうど通販で買ったピエール・ド・ロンサールの新苗が届き、それも植え付け。
計4本のバラの苗。果たして上手く根付いてくれるかしら。

それにしても、京成バラ園は本当にバラの天国だった。ガーデンセンターのみの営業でバラ園には入れなかったが、ガーデンセンターと遠目に見るバラ園だけでもすごい充実感。バラ園に普通に行けるようになったら、絶対に行く!と決心した。
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猫を飼うきっかけ

小さい頃から猫が好きで、一生に一度は猫を飼いたいと思っていた。しかし、マンションに住んでいた頃からデグーを飼い始め、とても可愛かったし楽でもあったので、当分は無理だな、と思っていた。上の子供が家を出るかもしれないことになった時も、この先デグーが寿命を迎えたら考えるかな~というくらいの気持ちでいた。それが、子供の受験直前にまさかの事故でデグーを亡くしてしまった。本当にショックで、もうネズミのように小さい動物は飼うまいと思った。そして子供が巣立ち、ご多分に漏れず寂しさもあり、これも機会と思い、猫を飼うことに決めたのだ。
そして今、私の横にはのんびりとキジトラが寝転んでいる。思っていた以上の愛しさに、いつかこの子がいなくなることを考えると今から心配だ。

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美しい景色

怖いくらい奇麗な景色を見たことが何度かある。50年生きてきて、特に記憶に残るのは2度。
旅行に行って、そのたびに素晴らしい自然、建物、街を見て、そのたび感動した。写真にも思い出にも残っている。だが、その2回の景色は写真には残っていないし、人に説明してもわかってもらえるとも思えない、個人的な経験だ。だから正確には、「奇麗な景色」ではなく、私が「奇麗に感じた景色」だ。

一つは卒業旅行で行ったイタリア、ローマ。夕方ホテルに帰って、まだ日が落ちていなかった。外では通りを何かのデモ隊がぞろぞろと歩いていた。日が暮れかかり空と街全体が不思議な紫色に染まっていた。その空を恐ろしいほどのヒヨドリの大群が飛び回り、雲のように影を作っていた。そのくせなんだか、あたりがやけに静かで、私は友達と二人、その景色を見つめながら、しばらく黙っていた。
紫のローマはとても美しく、なんだか、胸が切なくなるような不安なような、不思議な心地がした。

 もう一つは皇居のお堀を見下ろす景色。どこからだったかもう覚えていない。夜、皇居の石垣の上の林の中に忍び込んで、お堀を見下ろした。周りの街灯の光が水面に映って、ぼんやりにじんで光り、美しかった。なんだか街がやけに遠く、隔絶されたところにいるような、別の世界にいるような気がして、悲しいような切ないような気持ちになった。

 「風景が怖いくらい奇麗に感じるのは、悲しいことがあった時」というのは、だいぶ昔読んだ漫画に出てきた。「今夜の景色は怖いくらい美しい」という友達に、主人公が「悲しいことがあったの?」と尋ねる場面の、しっとりした雰囲気が印象的だった。

 そう、月並みなような気もするけれど、風景を怖いくらい美しく感じさせているのは、自分の心の有り様なのだ。そしてそれは嬉しい、楽しい時よりも、悲しく不安な心持の時の方がより多い気がする。未知の世界へ踏み出そうとする時の先の見えない不安、誰かと別れる時の悲しく寂しい気持ち。そんな心の穴に、目にした景色がするりと入り込んでくるのだ。その風景は誰とも共有できないかもしれないけど、自分の中に大事にしまわれている。