猫の額

初心者の猫と庭いじり。日々のこと。

父の日に寄せて

自分の父親がどんな人間なのか、私はその父が亡くなるまで、ほとんど考えたことがなかった。父はあくまで私の父であり、一人の人間として客観的に見る機会などついぞ持たなかった。父は、悪いけど、気難しく独善的で、頭でっかちで、話していて楽しいタイプではなかった。

亡くなる一年位前から、自分の死を意識しだしてナーバスになり、度々よくわからない繰り言を聞かされた。自分が死んだ後のことをよろしく頼む、とにかく仏教を学べ、仏教の教えは真実だとつくづく感じる・・・と繰り返し、こんなことを繰り返し言うようでは本当に自分はダメだ、情けない、と延々尽きることがなく、正直最後は辟易した。度々倒れて病院に運ばれる父の不安はよくわかったし、できるだけ話を聞いてあげたいとも思ったが、いったん始まるとこちらの都合もお構いなしに延々と続く話は、子供に聞かせたい内容でもなかったし、こちらも忙しかったりで、階段下から名前を呼ばれると、ああ困ったなぁ、と思ったものだった。
 父は仏教についての著作をしていたが、普段の生活からは信心しているとはとても思えなかった。おそらく仏教を学問的に捉えていて、本来の意味で仏を必要としているわけではないのだろうと思えたが、晩年の不安定な様子から、父なりの形で信仰を求めていたのだろうと思う。今まで何かを頼みにするようなことを見たことがなかったので、父にもそのような拠り所のようなものが必要なのだということは不思議に感じた。

父が亡くなって親戚が集まり、いままで話したこともなかった父のいとこたちの話を聞く機会を得て、今まで知らなかった父が少し見えた。学生時代、マルキシストであったこと、少し年代がずれていれば安田講堂に立てこもったかも、などという話もあり、いわゆる左翼的知識人という感じはしていたが、本物だったのだなぁ、と思った。それでもそれは、仏教と同じく、観念的というか、頭の中だけの思想というか、生活や行動を伴うものではなかったのではないかと思う。学生運動に加わった多くの東大生と同じく、卒業後は大企業に就職し、エリートコースを歩んで、日本の経済成長に貢献してきた。その変節が悪いと言っているわけではない。ただ、自分の中で矛盾はなかったのか、とは思う。

そんな話を生前、聞けたはずもなく、機会はまったく失われてしまった。私の知らない顔もあったのだと思うと、もう少しいろんな話ができれば良かったのに、とは思う。父は、もっと自分自身の話を家族の誰かに聞いてもらいたいなどと思ったことはあっただろうか。難しい本の知識ではなく、私は父自身の喜怒哀楽の話、悩んだ日々の話こそ聞いてみたかったと思う。

父が亡くなったその日の夜、階段下から父に名前を呼ばれる夢を見た。