猫の額

初心者の猫と庭いじり。日々のこと。

はみだしっこが大人になる時

子供と接していると、どうしても納得できないことが時々ある。その一つは、子供が、自分が傷つきやすいことを大人との交渉の手段にしようとする事である。話の流れを「傷つきやすい子供に気を使わなければならない」という風な感じに持っていこうとするのだ。そして子供をそういう存在として許す大人もいる。
子供はいろいろなことに免疫がないから、傷つきやすいという事は理解できる。だから大人はそれを慮って、多少グズグズしていることも大目に見なくてはならない、という感じになっていることもわかる。ただ弱いことを、甘く見てもらうための手段として使う子供や、それを許すのは正しいことなのだろうか?それを武器にするような子供に配慮は必要なのだろうか?そもそも弱いことを振りかざして優位に立とうとする行動は、人としてどうなのだろうか?

昔、「はみだしっこ」という漫画があった。あの時代の少女漫画の名作だとされているし、私もそう思う。今思い返しても、漫画を評するのに適当な表現ではないかもしれないが、なんというか、優れた話だったと思う。何が優れているかって、子供の視点から「大人は分かってくれない」というところから始まって、最後には「大人だって悩んでる」という視点まで行きついたところだ。それもとても深いところで。
とても印象的なセリフがある。孤児院の運営をしている若い女の先生が、子供との行き違いに悩んで言う、「子供なんて嫌いよ。傷つくことばかり一人前で!」というセリフ。私の気持ちを非常によく表していて、びっくりだ。まさにこれ!という感じ。大人にだってできないことはあるし、その中で、子供や社会や自分の都合を何とかやりくりしてやっていこうとしているのだ。大人だって全ての責任を放棄して、やりたいようにやりたい時だってあるが、立場的に難しいので、必死で建前を振りかざしているのだ。しかし子供はそんなことを理解しようとはしない。

子供は確かに弱いが故に責任を保留されているが、だからこそ子供には許可されない、権利がないこともある。自分がそういう存在だという事を感覚的にわかっていてほしいと思う。責任と権利はバーターなのだ。どんなに幼くたって、そういうことを理解してほしいのだ。