猫の額

初心者の猫と庭いじり。日々のこと。

片付け考

コロナ騒ぎの中の休日、大雨まで降ってきて、とても出かけるどころではないと、少し大掛かりに部屋の片づけでもすることにした。階下に暮らす母の家もついでというか、私がやらないと、とても片付かないだろうと、思い立ってやり始めた。

始めてすぐに、一応覚悟はしていたが、これは一筋縄ではいかないことが分かってきた。まず廊下から寝室に入るドアの前が荷物でふさがれていて(リビングからは入れる)、とりあえずここを通れるようにしなければ、と物をどかし始めた。するとその物たちは、納戸にある物たちと合わせて片付けた方が良いということが分かってきて、納戸にも手を付けることに。この納戸が曲者で、ウォークインのはずが入り口いっぱいまで段ボールが積まれていて、とても入れる状態ではない。
この段ボールがまた・・・1つ1つは小さいもので、ゴミ袋やラップ類、キッチンペーパーの買い置き、カップラーメンやお茶の買い置き、大量の空き瓶や紙袋、使わない食器類、そしてなぜか大量の未使用のクーラーバックやピクニックシート・・・そのようなものが、段ボール箱にほおり込まれ、重ねられ、またほおり込まれ、重ねられ・・・ 
母の家は一応リビングや和室は片付いており、別にゴミ屋敷というわけではない。でもその廊下や納戸を見ると、なんだかくらーい気持ちになってきてしまった。なぜこうも物を捨てることができないのか。そして絶対にこんなには使わないだろうと思えるものが、なぜこんな量あるのか。
いずれ役に立つ、まだ使える、そういう理由で捨てられない物たち。安いから、という理由で必要以上に買われる物たち。そしてそれらが段ボールに入れられ重ねられると下のものは見えないので、存在することを忘れられ、また買われて新しい段ボールが仕立てられる。そして、下の段ボールの物たちが日の目を見ることは、おそらくほとんどない。

役に立たないものを安いから、という理由で買うことは私にもある。たいていは自分のものだったり子供のものだったり、「そんなに気に入ったわけじゃないけど、あれば使うかな~、安いし」と思って買ってしまうことはある。でも母の不思議なところは「使う人」があまり想定されていないところで、「誰か」が使うだろう、と思って買ってしまうようなのだ。その「誰か」は大抵の場合家族なのだろうけれど、具体的に想定しているわけではないので、その誰かの好みや必要性などは全く考慮されない。そして結局、お蔵入りになってしまうのだ。
これはもう昔からで、服メーカーのパートをしていた時などもひどかった。「誰か」の好みなど全く考えず、安いから、という理由でバーゲン品をよく買ってきて、家族にあきれられていた。あとレインコートへの執着もひどく、よく行く場所の近くにレインコートなどを100円とかで売っている店があるらしく、たびたび買ってきては、くれるのだ。でもレインコートなど何着もあっても仕方なく、実際私は1つのものをもう何年も使っている。もらったものもせっかくだから使わせてもらうが、おかげで子供用などはきちんとしたものを買う機会を逸してしまっていた気もする。結局、今回の片づけで何着ものレインコートを捨てる羽目になった。

昔からだから仕方ないと言えば仕方ないが、使いきれないものを買ってしまい、一か所にしまい切れず段ボールを積み重ねていくのを見ると、なんだか暗い気持ちになってしまった。ちょっと違うかもしれないけど、何かで読んだ、少しボケてしまったおばあちゃんが「脱ぐ」という概念を忘れてしまい、「暑いから」と涼しげな服を何枚も着込み、結果、暑がっていた、という話を思い出してしまった。

私も片づけがけして上手いとは言えず、収納も効率的にやっているとはとても言えないが、こういう気持ちを払拭するためにも、せめて少しでも片付けて、自分も母も気持ちよく過ごせるようにしていきたいと思った。