猫の額

初心者の猫と庭いじり。日々のこと。

運命の猫

うちで飼う猫を探している間、暇さえあれば猫のことを考えていた。
どんな猫ならうちに慣れてくれるのか、こんな不慣れな私達でも大丈夫なのか。トライアルに来てもらっている間は、どうすればうちに慣れてくれるのか、本当に慣れてくれるのか、慣れてくれなかったらどうするか。いつ猫カフェに行けるか、次の譲渡会はいつなのか、ほかにつてはないか、ほんとに四六時中、猫のことばかり考えていた。
そして方々の猫カフェや譲渡会に顔を出してみて、結果的に今まで全く縁のなかった保護猫活動を少しばかり知ることになった。
おそらく同年代か少し上の独身男性は、近所で野良猫がいるとフットワークも軽く保護に向かい、去勢・避妊手術を受けさせ、リリースしたり譲渡会に出したり。保護猫カフェの店員さんはキャットシッターの資格?を持っていて、お店の仕事とは別に、猫のことで困っている人の相談に乗る活動をしていたり。自宅を猫のケージでいっぱいにして、10匹以上保護していたり。
 皆さん本当に猫が好きで、本当に頭が下がるほど猫を中心に生活が回っていて、それも「うちの猫」に対してではなく、世の中の全ての猫に対して溢れるほどの愛があるのだ。大げさに言えば皆さんに、すべての猫を救いたい、救わねば、という使命感を感じた。本当に素晴らしい、世の中に必要な活動だと思った。

 しかし、そういう人たちを前にすると、「私なんかが猫を飼いたいなんておこがましい」という気持ちになってしまって、正直猫を飼う自信が失われそうになったのも事実だ。
 ある保護猫団体では、トライアルは先住猫がいる場合にその猫と新しい猫との相性を見る必要がある時だけ行い、里親と猫との相性を見るためには行わない、としていた。つまり一旦選んだ猫は何が何でも引き取らないといけないということだ。猫を拾ってきた場合やペットショップで買った場合は、否応なくこのパターンになるはずなので、もちろん無茶を言っているわけではないかもしれない。でも「自分との相性を見るためにトライアルしたい」という人には猫を引き取ってほしくない、とまで言っていて、正直「厳しいなぁ」と感じた。
 初めにうちに来た猫は、全く触らせない、手を伸ばすと猫パンチしてくる猫で、トライアル期間中、一向に慣れる気配がなく、高齢の母もいて心配があったのでお返しすることにした。その後、別の猫カフェに行ってその事情を話したところ、衝撃の言葉が返ってきた。
「あなた、その猫を選んだんでしょ。だからだめだったんですよ。その猫はあなたの運命の猫じゃなかったんです。条件で選ぶようじゃダメなんです。運命の猫なら、どんなに条件が悪くても飼いたいと思うはずだ。」「例えば自分の生んだ子供は選んだわけじゃなく、でもどんな子供でも、見捨てることはできないでしょ。それと同じ気持ちを猫に持てるかどうか」等など。様々な猫と触れ合ううち、運命の猫はわかるのだという。なんか気になって、ほっとけない、いろんな条件を考えて不利なはずなのに、思い切れない・・・らしい。
 「運命の猫」、この言葉は衝撃だった。そんな奇跡のような出会いを待たなければならないのか、猫を飼うのはそんなに難しいことなのか、猫を選ぶというのは傲慢なのか・・・
 「猫を選ぶ」ということでは、いろんな猫を見ているうちに、私はキジトラ猫が好き、というより、どうもキジトラじゃなくちゃ嫌なんだ、ということがわかって来た。そして留守がちな我が家は子猫はダメ、でも長く飼いたいからそんなに高齢じゃなくて、母にも触れあってもらいたいのであんまりやんちゃなのは・・・という感じで、いろんな条件を出していた。猫好きの人には全く許せないのではないかと思う。一昔前の「結婚するなら三高」というくらい図々しいことだったのではないか。
 そんな条件を出している状態で偶然に「運命の猫」に出会えるはずもなく、自信もなくなり、そのせいか猫活は難航してしまい、四六時中、猫のことを考えることになってしまった。

 猫カフェでは、「猫とよく触れ合って時間をかけてよく見て、どの猫を迎えるか決めてくださいね。」というようなことを言われていたが、猫のことで悩んで頭がいっぱいになっている状態がしんどくて、とにかく早く猫に来てほしかった。
 それで結局、里親募集サイトで条件に合った猫を探し、おとなしい、という保護主さんのコメントを信じ、たった一度のお見合い、しかもかごの中、という当初よくないと思っていた選び方で今のうちのにゃんこを迎えることになったのだった。
 結果的には(言葉はよくないが)これが大当たり、保護主さんもいい方で、当の猫も今のところ不満があるようにも見えず、慣れてくれていると思う。今では理想の猫、ある意味「運命の猫」に出会えたと思えるほど。運が良かったとしか言いようがない。
 でもやっぱりトライアルであきらめてしまった猫のこと、保護活動をされている方がたや里親を待っている猫たちのことを考えると、自分の傲慢さや堪え性のなさ、猫への気持ちのなさなどを突き付けられているような気がして、いたたまれない気持ちになってしまうのだ。